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ブッダ 手塚治虫 2002/12/08
 仏教もキリスト教も、きっと出発点は同じだった。
『自分を取り巻く人々・世界にやさしく接しなさいよ』
ただ純粋にそれだけを、ブッダもイエスも言いたかっただけなのだと思う。

 ブッダは、老いて亡くなるまで人々に接し、自分の哲学を伝えていった。
イエスは、早い時期に権力に吊るし上げられ、公開処刑されてしまった。
どうやらその違いが大きかったんじゃないだろうか。
カリスマは殺してしまうと、逆に人々の心に永遠に生き続ける。
それが劇的であるほど、強烈に。

 ブッダが死ぬ時には、彼の哲学に賛同する者は相当な数に及んでいた。
時間を掛けじっくりと伝え、人々は彼の生き様を見届けた。
 イエスの場合、人々が見届けたのは彼の死に様であった。
イエスの哲学は一部の熱狂的な理解者を介して、人々には伝えられた。
伝えることの難しさは、僕たち誰しもが経験していることだろう。
「伝言ゲーム」なんていう遊びもあったくらいだ。
 イエスの哲学が、ダイレクトに大勢の人々に理解されていたなら、キリスト教は現在のようにはなっていなかっただろう。
まして、争いの種になる事など。

 僕はここのところ珍しく、深く深く落ち込んでいて、何もやる気が起こらなかった。
それでなんとなく数日前から、『ブッダ』を引っ張り出して読んでいた。
読み終わった今日は12月8日、偶然にもジョンレノンの命日だった。
 そう、ブッダもイエスもジョンレノンも、言ってる事はみんな同じ。
『みんなでやさしくいようね』って。
単純で、純粋なこと。
心が弱っている時って、こういうのに弱いんだよな。

 これからの時代は、多くの人の心を捕らえ、宗教にまで発展してしまうようなカリスマは、もう現れないだろう。
死んでも、写真・映像によってリアルに、遠くの地でいま生きている人と変わりなく、情報が伝達される時代。
人々の想像の中で、像が『勝手に』膨らむことはない。
ジョンレノンが2000年前の人だったら、きっとイエスキリストと同じように祭り上げられ、曲解されながら現代に繋がっていたのだろうと思う。
イエスが現代に生まれていたのなら、、注目される心のきれいな表現者で、人々に影響を与えつつも冷静に評価されていただろう。

 いま、じつは平和に一番近いところにいるのかも知れない。
情報が早く正確に届く時代、どんなカリスマでも、あらゆる方面から冷静に評価される。
アメリカで絶大なる支持率を誇っているブッシュ大統領も、ドイツのシュレーダー首相からは『ヒトラーと変わらない独裁者』という評価を受ける。
数千年・数万年の昔から人々が夢見た『平和な世界』は、もしかしたら情報が隅々まで行き渡る時代にこそ、実現されるのかもしれない。
みんなが本当の事を知っている、それはうっとおしいけど大事なことだと思う。

 地球がボロボロになるか、人類が滅亡するか、穏やかなやさしい世界がやってくるか、
どれが一番早いだろう。
もし、やさしい世界がやってくるのなら、僕は出来るだけ長生きしたいな。
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