□index□   ■column■


神道入門 2002/11/29 武蔵野女子大学
「死の意味とは、生を次の世代に譲るためである」
秩父神社の宮司はそう言った。

 40年後の未来を、僕はこう予測する。
 僕とカミさんは67歳の無職で、息子夫婦に面倒を見てもらっている。
僕の一人息子は35歳、息子の嫁さんも一人っ子で35歳。
僕の息子が面倒を見ているのは、僕とカミさんだけでなく、嫁さんの両親と、僕の母つまり息子のおばあちゃん91歳。
僕自身も一人っ子のため、おばあちゃんも僕の息子たちに面倒見てもらうほかない。
息子はサラリーマンで外に働きに出て、嫁さんは5人の老人の面倒を見なくてはいけないため専業主婦。
おそらく、社会は高齢化にともない、サラリーマンの払う税金は膨れ上がっているだろう。
自分たちだけの暮らしですら、決して楽でないサラリーマンには、5人の老人がぶら下り、息子夫婦には自分たちの子供を設ける経済的・精神的なゆとりは無い。
 それでも心優しい息子たちは嫌な顔ひとつせず、私たち年寄りを心から心配してくれ、少しでも風邪をひけば「こじらせたら大変だから」と病院に連れて行ってくれる。
患者のほとんどが老人の高齢化社会、老人の医療費優遇など無いかもしれない。
そして医療は確実に進化し、老人を死の淵からも易々と生還させてみせる。

 そんな40年後、老人である僕は死をどう捉えるだろうか?
『死は生を次の世代に譲るため』
そんな慰めは、むしろ僕を苦しめるだろう。
死ねない老いぼれが渋滞して、活躍すべき若い世代の生を奪っている現実。
そして更なる少子化、広がる暗い未来。
 政治と違い実質的な力を持たぬ宗教は、そんな時に何と言ってくれるのだろうか?
「死にたくても、死なせてもらえない苦しみ」を、心のよりどころである宗教は、何と言って納得させてくれるのだろうか。

 宮司に向けたそんな僕の質問を、理解できていないのか、はぐらかされたのか。
彼から返ってきた答えは、「マクロ的社会システムではなく、地域社会の活性化が、かつてあった関係豊かな地域社会を取り戻すことが、高齢化社会を不幸でないものにする」、ということだった。
本当にそうか?
「かつてあった関係豊かな地域社会」は6人兄弟だの10人兄弟、そんなのが当たり前で、若者への負担が分散されていた社会ではないのか?
しかし、一人っ子が当たり前の現代・近未来で、多くの老人は僅かな若者に重く重くのしかかる。
文明社会でのゆとりの無い暮らしは、途上国とは逆に、更なる少子化を招きはしないだろうか。
負債が負債を生み、その重さに耐えられなくなる日は近い将来確実にやってくる。
リアルな社会分析が出来ない宗教が、人の心を救えるだろうか。

 それを現実的に処理するのは、もちろん政治の問題である。
70年代・80年代、ようやく出てきたゆとりを、自分たちの娯楽に消費してしまった、第一次ベビーブーマーの無責任であり、
ゆとりの使い方を指導・政策で、コントロールできなかった、少子化を調整をしてこなかった政府の責任である。
これから政治がどんな有効な手段をとってくれるか分からないが、今僕たちに見えている未来は果てしなく暗い。

 僕は宗教をあてにしていない。
しかし、宗教を必要としている人には、宗教家は応える必要があるだろう。
先の見えない時代、
いや見たくない未来しか予測できない時代。
夢と現実の調停役である宗教は、はたして人の心を救えるのだろうか。
back