□index□   ■column■


宿敵 糸井重里 
『インターネット的』を読んでしまった。
知り合いの糸井重里ファンの人が「この本、いいよ」って言うもんだから。
内容は、まぁ、おもしろかった。
価値観近い人だなとも思った。
でも、でも、あの『あとがき』は読みたくなかった・・・
『死ぬときに、あぁ面白かったと言って死にたい』だって。
うぁああああああ!先に言われたぁ!

 誰から聞いたわけでもなく、僕は僕で
「死ぬときには、布団の上で、『あぁ、おもしろかったぁ』って、ディズニーランドの出口をくぐる子供のように、そう言ってこと切れるんだ」そう決めていたのに。
これはいいぞぅ、と密かに温めていたのに、糸井重里に先を越された!
まったく同じ考え方を、先に公表されてしまったこの悔しさ!!
ひとから「糸井重里の影響受けたんでしょ」って言われるのが目に見えているじゃないか。
こんなことなら、普段からそこらじゅうで言いまくってれば良かった。
 まぁ、彼が似たような考えかたしていても、僕は僕だからさ、いいんだけどね、・・・・・・いいんだけどね!

 そして、その数ヵ月後、幸か不幸か彼と話をする機会があった。
パチンコデザインコンペティションという、『郊外型のかつてない新しいパチンコホールを提案する』、
という建築の設計コンペ(コンクール)があり、その審査員6人のうちの一人が彼だった。
 僕は友人のA氏と共同で、2カ月がかりで実力をはるかに超える自信作を生み出した。
2002.02.23東京フォーラムで決勝の公開審査が行われ、301案中・上位10案がその矢面にたった。
しかし、僕らの案はすでに3次審査で落選していた。
敗因はもうわかっていた、プレゼンテーションがどうしようもなくヘタだったのだ。
設計内容そのものには、自信があったのだが、伝えるべきことを、わかりやすく提示できていなかった。
そんなわけで僕らは、客席で審査の行方を確かめることになってしまった。
 決勝審査の結果は
 「じゃぁ、Hさんの案で、いいですかね・・・」
という、消去法の結果残ったのがコレだった、的な尻すぼみな幕切れだった。

 公開審査終了後、参加者と審査員によるパーティーがあり、参加させてもらった。
狙うは糸井重里。
隙をみて近づいた。
持ってきたプレゼンテーションボードの縮小版を広げて見せ、声を掛けた。
「これが僕らの提出案なんですが覚えていますか?」
すると彼は
「あぁ!覚えてる、覚えてる!これよかったよねぇ、僕はこれ推したんだよ。
これはね、11番目の案だったんだよ、惜しかったよねぇ。
これのさ、コンセプトのあの文章がね、良かったんだよね。僕これ好きだったんだけどね・・・」
 嬉しいことに彼はすぐに反応してくれ、しかもとても高く評価してくれていた(と思う)。
しかし何より驚いたのは、こんなヘタクソなプレゼンテーションにもかかわらず、
僕らが2ヶ月掛かって生み出した、まだ誰も体験したことのない新しいパチンコホールを、
建築の素人の彼が、1次2次3次審査のたった数10分(であったであろう)で、ほとんど全部理解してしまっていた。
 読解力、分析力、そして直観力、がすべてズバ抜けていて、完全に世の中のトップをいく頭の良さだった。
正直あんな人、いまだかつて会ったことがない。
 彼の文章を読んでいると、読みやすくて、わかりやすくて、つい親しみを覚えてしまうのだが、とんでもない。
彼は羊の皮をかぶったバケモノだった。

 彼は僕らの案を『11番目』と言ってくれたが、実際には決勝審査に残っていた10案は4次審査の通過者なので、3次すら通過できなかった僕らが11番目って事はない。
良くても17番目のはずだ。
彼のリップサービスだったのか、記憶違いか、それとも彼にとっては11番目だったということなのか。
それとも『じゅういち』と『じゅうしち』を聞き違えたか・・・それはないだろうけど。
なんにせよ、僕らはあのバケモノに評価された!

 決めた。
今後、彼にまた会うようなことがあっても、「インターネット的読みました。僕も同じこと考えてたんですぅ」なんて、死んでも言わない。
言った瞬間から、僕は糸井重里を超えられなくなる。
身をもって彼のバケモノ振りを知ってしまった以上、彼は僕の宿敵であることを認めよう。
そのうち絶対驚かせてやる!
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