Daily・・・日々雑感

2005.12.31 (sat)
20mmのレンズを買いました。
だからどうってことでもないのですが、
わざわざ大晦日に書く必要もないのですが、
嬉しかったので書きたかったのです。
自分への、サンタクロースからのプレゼントです。
コイツがあれば、もっと思い通りに写真が撮れるんじゃないかと期待しています。
それにしても、いやぁ大晦日ですねぇ。
プリンターがガーガー動きっぱなしです。
仕事用の年賀状ができ上がったら、次は家族用を作ります。
人間の方もオーバーワークで、
さっき顔を洗っていたらビキッ!っと鋭い痛みが走り、ギックリ腰になりかけました。
危ないところでした。
なんか、こんなふうにドタバタしながら一生が終わっていくような気がしてきました。
さて、一年の総括みたいのは、ヘソ曲がりなのであまりやりたくないのですが、
今年はおおむね、とてもいい年でした。
残念なことのいくつかもありましたが、
仕事的には、年々良い仕事がいただけるようになってきましたので、
今年が、建築を始めて一番良い年でした。
コドモも、去年生まれてかわいくてタマランかったのですが、
今年の方がもっとタマラナイ気がします。
相変わらず仕事も家庭もごちゃ混ぜですが、
来年も再来年もそんなことを言いながら正月を迎えられたらいいなと思います。
私達と遊んでくれている皆さん、ありがとうございます。
おかげでさまで、楽しい毎日です。

2005.12.30 (fri)
やっと、年賀状の作成に着手しました・・・。
なんとか年をまたがずにこの作業は終わらせたいと思っていますが、
さーてどうなることやら。
(←こちらは前回の年賀状)
ちなみに、去年も同じようなことやってまして、
大晦日の夜に郵便局に出して、相手に届いたのが、
23区内で1月4日、愛知県だと1月5日でした。
あとはもう郵政民営化に期待して、他力本願です。
ははは、ま、のんびり待っててください。
あ、もし「ウチには来ないともうけど、年賀状ください」
というかたがいらっしゃいましたら、遠慮なくご連絡ください。
将来価値が・・・出るわけないか。

2005.12.29 (thu)
毎度のことながら、コドモ用品を選ぶのには苦労する。
コドモ乗せ自転車の時も消費者をナメていないモノを探すのに散々苦労したが、
また今回も、もうこれ以上はムリってくらいに徹底的に探して買いました。
三輪車
ネットで探して「これなら良いじゃない!」ってのがようやく見つかり確認してみると、
とっくの昔にメーカーに在庫はなく、生産の予定もなし。
ガーン・・・。
んで、そこから先は執念で、北海道から四国まで
このメーカーのを取扱うディーラー50軒に店に片っ端から電話を掛けて、
やっとのことで、香川・愛知・千葉から白2台・紺2台を見つけ出した。
もう日本中どこを探しても他にないと思います。
で、そのうちの1台をウチが買ってしまったので、たぶんあと3台。
それにしてもウチは、買い物のひとつひとつが大変じゃのぅ・・・。
べつにオシャレを気取りたいわけじゃないんですよ。
だた、「デズニーのイラストでも描いておけば売れるだろ」とでもいうような、
客をナメきった商売を認めたくないのです。
さてさて、そんなに苦労して買ったこの三輪車ですが、
落とし穴がありまして、
コドモを乗せてみたら、足が届かない・・・。
ウチのはとってもチビ助なので、ぜーんぜんペダルに届かないのです。
現物見ないで買ったからなぁ・・・。
ま、こんだけ探しまわったあげくに、バカにされるのも癪なので
なんとかサドルを改造して、ギリギリで届くところまでしましたが。
・・・お父さんって大変です。
あ、もしコレ欲しいってかたがいらっしゃいましたら、
メールでもくだされば、在庫を持っているお店教えますよ。
たぶん、あと3台。

2005.12.28 (wed)
『雪女』ってのは、幽霊でありながらたいへん魅力的な美人だということになっているのに、
『雪男』ってなると、そいつは人間と猿の中間のケダモノってことになってる。
オトコとオンナで、どうしてこうも扱いが違うんだろう?
雪女と雪男の結婚。
コイツもどうもイメージが湧かない。
どういうわけか、
ズルいとか、羨ましいとか、不釣り合いとか、
理不尽なものを感じてしまうのはどういうことだろう?

2005.12.27 (tue)
よく「豆腐、あれは水を食ってるのだ」といわれるが、
同様に、ワタシは常々「ラーメンとソバは空気を食すものである」と思っている。
ラーメン単体でいくらウマくても、となりでモクモク煙草をやられては台無しである。
こんなに腹立たしいことはない。
そういう店は0点。
ところで、最近行ったラーメン屋に『当店は禁煙となっております』という貼紙があった。
非喫煙者のワタシにとっては大変嬉しいことだが、
せっかくなのでひとつ提案。
貼紙の文句をこうしてはいかがだろうか?
「お煙草のお客様には、当店入口の外に灰皿をご用意しています」
と。
そして灰皿の脇にベンチのひとつでも置いておけば、
お店としても八方美人にやれるんじゃないだろうか。

2005.12.26 (mon)
「オマエとさぁ、家族のね、ヌードを撮ろうよ。
すっぽんぽん。みんな。
もちろんオレもすっぽんぽん。
3日くらい一緒に生活してさ。
裸で。
いつも通りにね、仕事をしてるところを。
撮るの。
な。」
突然そんなこと言われても、
酔っぱらっている写真家の言うことが、いったいどこまで本気なのか、
受け止めかたに戸惑うよな。
「ぁぁ、やってみたい・・・」という気持ち半分。
「いやぁそればっかりはちょっとカンベン・・・」と腰が引けるの半分。
ふと、ジョンレノンのことを思い出した。
『家族ヌード写真』それを我が事として目の前に突きつけられた瞬間に、
実感した。
やっぱりあの人は普通じゃないんだ。
この半分半分の気持ちが、
その一線を越えるか超えられないかは、大問題。
たぶん僕は超えられないなぁ・・・。
だって、真夏でパンツ一丁の時でも、ハラマキを絶対に外せないほど、お腹が冷える体質なのに、
ヌード撮るぞって時に、すっぽんぽんにハラマキ一丁じゃ、
・・・かなりのヘンタイだもの。

2005.12.25 (sun)
サンタクロースは、いる。
だから良い子のところにはもちろん、
お母さんにもお父さんにも、サンタは来る。
サンタクロースを信じられること、
それは「信じる」強さを身につけること。
実態が見えていなくとも、希望を託せる、その強さ。
おとぎ話のチカラ。

2005.12.24 (sat)
サンタクロースが来る。
今晩来る。
サンタクロースは、このところのドタバタの年末進行にバテバテになりながら、
一刻も早く布団にもぐり込みたいと切に願いながら、
それでも眠い目をこすって、良い子のためにプレゼントをラッピングする。
枕元にモノだけポンじゃだめか?
・・・それじゃプレゼントだって分からないよな。
なんかのショップのちょっと小ぎれいな紙袋にでも入れて・・・
・・・いやいや、サンタクロースは小売店で買わないはずだ。
んーん、なーんかなかったかなぁ・・・
眠いのにぃ。明日も仕事なのに。
カミさんは寝てるし。なんでオレばっか・・・
そういや、むかし韓国で買ってきた花びらを漉いた和紙があったな。
あれで巻こうか。
・・・それだけじゃあまりに質素だな。
オイ!起きろ。
リボンを出せ。かわいいリボンを出せ。
そして結べ。
サンタらしい結び方だぞ。
だいたいなぁ、なんでオレばっかりがこういう役回りなんだ。あん?
オレだってもうクタクタで寝たいのに、おまえがスカスカ寝てやがるから、
仕方なく律儀にだなぁ・・・
・・・・・・と、まぁこうしてイブの夜はふけていき、
我が家にも、なんとか無事にサンタクロースがやってくることになりそうです。

2005.12.23 (fri)
やたらに白くて、やたらにカッコよくて、やたらに生活感のない、
見栄のかたまりみたいな家を、
やたらにスカした夫婦が、ワインなんか飲みながら、
何をカンチガイしてるのか、なんだか偉そうに案内するテレビ番組を見ていて、
イヤーな気持ちになった。
「・・・どうする?ああいう建て主さんがウチに来たら・・・」と、つぶやいてみると、
「来ないでしょ。ああいう人は、あなたのところには。」
とカミさんが答えた。
確かに、よくよく考えてみるとその通りだと、ホッとした。

2005.12.22 (thu)
一週間ほど前からだろうか、
コドモが「ゴミ」というコトバを言うようになった。
じつは、ゴミの定義というのは、けっこう難しい。
簡単に言えば、「いらなくなったらゴミ」ということであるが、
いるか・いらないか、は主観である。
初めからゴミとして生まれてくるものなど、ほとんどあり得ないわけで、
「もうこれはゴミである」と誰かが判断する時点があるわけだ。
その判断までは、それはゴミではなく、
贈り物の包み紙だったり、ちぎったパンだったり、バーゲン案内のハガキだったりするのだ。
コドモが「ゴミ」というコトバをほぼ正確に使えているというのは、
単に、鼻の長い四つ足を見て「ぞぉさん♪」と言うのとはわけが違う。
常識的・社会的な物事の判断がほぼできるようになった、ということだと思うのだ。
うーん、恐るべし、1歳9ヶ月。

2005.12.21 (wed)
加湿器をかった。
・・・・・・。
買った。
いや、誰が何と言おうと、これは加湿器である。
・・・・・・正直言うと買ったわけではないけど、
これはやっぱり加湿器である。
ルックスは貧乏臭いが、加湿性能は間違いない。
加湿器を買うまでの応急措置のつもりだったけど、
なんだかこれで充分になってしまった。
イッタンモメンではない。加湿器である。

2005.12.20 (tue)
本の帯を全部捨てた。
先日読んだあるアンケートで
「本の帯は、 つけておくorはずす」
という問いがあった。
『つけておく』も『はずす』も半々くらいの回答率だったと思うけど、
『はずす』とした、ある人の理由として、
「もう自分のモノだから」という答えがあった。
ガーン!
そんなわけで、ある日突然に
帯の貧乏臭さを突きつけられてしまった私は、
長年所属してきました帯つけておく派を脱退し、
本日より、帯捨てる派に転向いたします。

2005.12.19 (mon)
電車がホームに入ってきた。
「ゴト・・・」という音がして、目をやったら、
酔っぱらいがホームの端に座り込んじゃって、
滑る電車の車体に、座椅子にでも腰掛けるように自分の背中を寄っかかろうとしている。
もうゆっくりだけど、それでもいちおう電車は動いている。
寄り掛かろうとして車体にはじき飛ばされ、
ホームの端ギリギリでゴロリと寝っ転がりそうな姿勢で、
酔っぱらいは、朝の眠気に勝てない子供のようにモゾモゾしてる。
・・・ものすごく危険な場面。
動く電車とホームの隙間に転がり落ちてもおかしくない。
もう一度寄りかかろうとして、そこが車両の連結部分であったなら隙間にストンと落ちて、
そのまま轢かれてしまうだろう。
そんな光景を僕は10mほど離れたところから目にした。
とっさに・・・体は動けなかった。
一瞬おいて、僕より5mほど前にいた他の男性が駆けつけ、
電車が停車するまでのあいだ、その酔っぱらいがモゾモゾ動かぬようにしっかり抱えたおかげで、
何事もなく停車し、(きっと車掌は全然見ていなかったのだろう)普通に発車した。
この出来事に僕はショックを受けた。
いくらなんでも、こんなにも愚かな酔っぱらいがいるのかと信じられなかったし、
予想もできなことを目にして唖然としてしまい、とっさに対応できない自分にもショックだった。
ひとつだけ自己弁護させてもらうと、酔っぱらいとの距離がもっと近ければ
考える前に反射的に行動できていただろう。という気はする。
それにしても、
ホームギリギリのところで脱力してグナグナしている人間を目にしながらも、
アタマでは「・・・いくらなんでも」と、常識の範囲内で自分を納得させようという
思考回路が働いてるのには驚いた。
『基本的に安全』な社会に産まれ育ち、人間としての思慮が深くなり、
その結果、やはり危機意識というのは鈍くなっているようだ。
僕がとっさに動けなかったのは、怖かったわけではない。
自分の目の前で起きている危険を、
どうしても信じられなかったのだ。

2005.12.18 (sun)
忘年会の席で、
「俺にはね、子供がいないから親とか子ってのを『冷静』に見れているよ」
と、老人に片足突っ込んだくらいのオッサンが得意気な顔でのたまってた。
コドモなんていう、ハナから何の見返りも期待していないところで、
ただただ情熱を注ぐことなど、
盲目的にバカになっちゃってる実の親でない限りできないもの。
冷静で終わっていく人生なんて、オラ嫌だな。
ヨダレ出ちゃうほど、座りションベンしてバカんなっちゃうほど、自分のコドモが大好きよ。
人間なんていう理屈っぽい動物が、
愛なんていう訳のわからんもんに溺れていくの、いいじゃない。
『かけがえのない』って言葉は、コドモのいる人にしか本当の意味がわからない、
すげぇ深ーいふかーいコトバ。
『シアワセ』って、大いなるカンチガイのことでしょ。

2005.12.17 (sat)
「人に迷惑を掛けていないのに、何でダメなんだ」
という中学生の問いに
「人に迷惑を掛けなければ何をやってもいいのか」
と答えたオトナがいたという。
このオトナを、僕は支持する。
自分がすることの判断基準が、
「人に迷惑をかけているかどうか」
というのでは、実に貧困だ。
「自分の、生き方・モラル・信念・その他諸々に問い合わせて、
やるか・やらぬか。」それだけだ。
コソコソと「人がどう思うか」などという回りくどい考え方をしているから、
迷って分からなくなっちゃうのだ。
自分が今どこにいるのか、どこへ向かうのか、自分だけがちゃんと分かっていれば、
「人に迷惑をかけていないのに・・・」という問いは生まれないハズだろう。

2005.12.16 (fri)
スポーツ新聞の『早すぎる70歳の死』という見出しを見て瞬間的に思ったのは
「・・・ぜんぜん早くないでしょ。だってもう70じゃぁ」
と思った直後に、
(じゃぁウチのオヤジはあと9年か・・・)
と、気がついた。
確かにそれは・・・早い。
でも、自分の意に関係なく、
生き物ってのはそういうスピードでそういうサイクルなのだということは、
どうやら、分かっておいた方が良さそうだ。

2005.12.15 (thu)
クライアントからもらったメールの文章に、こんな一文があった。
「・・・その理由は複雑にして、言葉で表現できません。」
この一行、先方は中身らしいことを一つも書いていないのに、
読む人にとっては、その一行の中にものすごいイマジネーションを含んで、
確実に何かが伝わってくる。
この一文が有るのと無いのとでは大違い。
書かずして伝える。この文才に、
「すげぇなぁ・・・」と、心底感心した。

2005.12.14 (wed)
「電話があったことだけ、お伝えください。」って・・・。
外出から帰って、それだけ伝えられたワタシはどうすればいいのだろう。
「はい伝わりました・・・」とひとり呟いておしまいで、良いのだろうか。
『連絡が欲しい』とか、『じゃぁ結構です。気にしないでください。』とか、
なにか、安心できる具体的なことを言ってくれれば良いのに。
僕の場合、言葉の裏を読むとか、そういうメンドクサイのは嫌いなので、
どんな場面でも額面通りの解釈をしてます。
ビジネス語ではない、誰にでも通じる日本語で、よろしくお願いしたいと思ってます。
電話があったこと、は、伝わりました。
用件は、よくわかりません。

2005.12.13 (tue)
お願いとお知らせ。
このところ、サバイバルデザインの建築を支えてくれる
オモシロイ職人さんを各分野で探してきたのですが、
どなたかイキのいい建具屋さんと大工さんをご存知でしたら、
紹介していただけますとありがたいです。
多少めんどくさいことでも、一緒に面白がってやってくれる職人さんと
今後あちこちの物件で継続的に付き合っていきたいなと思っています。
あともうひとつ。
今発売中のチルチンびとに、居場所の家がちょこっとだけ載っています。
ホントにちょこっとなんですけどね。

2005.12.12 (mon)
新しい企画にポン・ポンとふたつ続けて声が掛かった。
時々、こういう面白いタイミングというのがある。
ウレシイナ♪と思うので、正直にそういう顔をしていると、
カミさんは(浮かれてると足もと踏みはずすよ)という目でこちらを見る。
確かにそうだなとも思うので、
少しムズカシイ顔も練習してみる。

2005.12.11 (sun)
このあいだ、企業に勤めている友人たちからこんな話しを聞いた。
今まで企業の上を占めてきた団塊の世代が、もうすぐ一気に抜けることになるのだが、
それに代わる人材が育っていないのだという。
次の代として控えているのは、在りし日のバブルが染み付いちゃっていつまでも抜けられない世代だし、
その次は、そのバブリーな時代に入社した、本人の能力とは関係なくチヤホヤされてしまった甘々の世代だし、
バブルの崩壊後はしばらくの間採用を見送ってきたから、
結局いまになって企業の中に、上に立てる人が育っていないのだそうだ。
僕らの世代(30歳)はバブルが崩壊した約10年後の就職ということになり、
就職難と言われながらも少しずつ企業が採用を始めた時期ではあるが、
まだ企業の上の方で活躍できる年代でもないのだろう。
そんな事情で、企業にとって深刻な人材不足がもうすぐにやってくるので、
人材をけっこうたくさん確保したがっているのだそうだ。
ニートやフリーターが問題だと言われているが、
就職難の時期に無理してツマラナイ会社に買い叩かれて入るより、
大学卒業後にフリーターでもやりながら、
団塊の世代の定年時期に合わせて、
良い会社に良い条件でスルッと入っちゃう方が賢いのかもしれない。
そんなことを話してくれた。
(ま、もちろんボンヤリなフリーターじゃダメだろうけど。)
こんな見解は今まで僕は聞いたことがなかったけど、
きっと彼らが肌で感じていることなのだろう。
僕にとっては新鮮な話しで、それがとても前向きなモノの見方だったので心底感心した。
世の中で、個人がどんなに信念をもって生きようとしていようとも、
世相の影響を受けずにいることは難しい。
けれども、こんなふうに世の中の方が絶えず動いているのであれば、
いつか突然ポッカリひらく、波と波の隙間のようなところは、けっこうありそうだ。
チャンスってやつは、ある日突然見える人にだけハッキリと見えるカタチで
現れるものなのかもしれない。
どんなことでも、日々の積み重ねってやつは無駄にはならない。
そう思ってもいいような気がしてきた。

2005.12.10 (sat)
ひっさしぶりに、すんごい感動した!!
世界がつながったし、広がった。
この感動を書きようもないので、ぜひ皆さん一度使ってみてください。
地球儀をグルグル回してみて、自分の好きな土地をズンズン ズームしていける
GoogleEarthというアプリケーション。
(mac用はこちらから)
新宿のビル群も見える、自分の家の屋根も見える、ローマのバチカン広場も、ニューヨークのグラウンドゼロも、
グルグルのズンズンです。
自分の旅した地やこれから行きたいところ、生まれ育った街など、
もう、道までちゃんと表示されちゃうものだから、思い出がブワァアっとよみがえってくる。
こりゃぁマズいなぁ。何日でも寝ずに遊んでしまいそうだ。

2005.12.09 (fri)
インフルエンザの予防接種、
去年おととしは、一回4千円だったと思う。
今回病院を変えてみたら、2500円。
あれぇええ?
いくら保険のきかない自由診療とはいえ、
ずいぶん違うのね。
裏で水で薄めてたりしないよね。
今年こそは、効いてほしいものである。

2005.12.08 (thu)
レコーディングされて、始めてスピーカーから鳴った瞬間から、
この曲は「天国からの音楽」だったのではないかという気がする。
Happy X'mas、ジョンレノンの歌声は、
どこか遠く離れたところから、聴こえてくる。
何か不安定なバランスを、壊さぬように気をつけているかのような、注意深いささやき。
空気の冷たい夜、見上げた闇の向こうからハラハラと降る雪のよう。
神さまの鈴の音のように、尊さと優しさを含んだ歌声。
100年後のこの日にもきっと、
この歌声は変わらぬ価値で降りそそいでいるのだろう。

2005.12.07 (wed)
思えば、すごく乱暴に成長期を送ってきたのだな。
文化祭だの体育祭だの、
学級会だのホームルームだの、
決めごとは常に多数決で行われてきた。
そう、育った。
大した理由があろうとなかろうと、
信念があろうとなかろうと、
練られた合理性があろうとなかろろうと、
時間がくれば最後に皆同じ一票でもって、手を上げて数を数えて単純に決まる。
急になぜそんなことに疑問を感じたのかというと、
ハッと気がついたのだ。
僕はもう何年も(十年以上か?)そういえば、多数決のある集まりに参加していない。
国民投票を除けば、
ワタクシ個人の思惑とは関係なく、多数だというだけの理由で物事が決定され、
自分にとって意に反する事でも、そのように動かなくてはいけないという立場になったことが、
・・・・・・ないのだ。
いま僕は、どんなことでも自分の判断によって動いている。
世の中の現状と、何が自然かということと、
動物としての直感と、予測可能な未来と、自分の信念と、
そんなものに照らし合わせながら、
仕事でも家庭のことでも仲間との活動のことでも、必要に応じてひとつひとつ物事を決めていっている。
だがそこに、一人で決めているという意識はあまりない。
仲間がいる時は、話し合いをしているうちに方向性が絞られていくし、
家庭のことならカミさんの存在があるし、
仕事のことでも、お客さんだったり職人さんだったり須永家の未来だったり、
色んなものが関わっているので、ワタクシ個人の意志だけでの判断というのは少ない。
それなりに、他者との関わり合いの中で物事は決めていっているのだけど、
でも、多数決の場面ってのは出てこない。うん、全くない。
途中の段階で、みんなの思惑を知るために、
「ノリ弁か、北海道か、はたまた三輪車か」と挙手する場面にはたまに出会うことがあっても、
「多数を決まりとす」という乱暴な意思決定の場面は、ホントにとんと出会っていない。
これはワタシだけだろうか??
・方向が見えてくるまでは、いくらでも話し合う
・決定事項は絶対ではなく、当初・仮に、のものである
・走り出して違和感を感じたら、また考えよう
こういう方法の意思決定でやっていけてるというのは、稀な幸せなのだろうか?
気がつけば、小学校から高校まで、多数決という絶対のなかで育ってきた。
そのことを今ではすごく異常だと感じるのだが、
柵の向こうではやっぱり今も同じことが行われているのだろうか?
多数決では、責任感は養われないだろうなぁ・・・

2005.12.06 (tue)
ずいぶん簡単に人を殺すよな・・・。
町田の女子高生が刺されたのが、もうずいぶん前の事のように感じてしまう。
そのたびごと、事件をきちんと伝える報道の警鐘的役割ももちろん分かるけれど、
新聞にデカデカと書かれる「衣服の上から数十カ所を刺され」なんて見出しを目にするたび、
言いようのない、堕ちていく先の見えない恐ろしさを感じる。
それが思考停止だとしても、「世の中にあり得ない事」という観念が
そう遠くない昔まではあったと思うのだ。
普通の生活をしていたら想像すらつかない、
あってはならない とかいう『判断』をするまでもなく、
『あり得ない』って、脳のシャッターが降りてしまうような、
観念に守られた禁忌・タブーってのがあると思うのだ。
それが、こんな風にしょっちゅう、刺した、絞めた、殺した、とかいう言葉が
普通の人の普通の日常生活の中にありふれてしまって、見聞きする機会が増えてる。
いま、殺人や傷害が、世の中の「あり得る事」として認識されていっている。
報道によって、繰り返し詳細に伝えられ、それがいつの間にか人の意識に
ジワジワと馴染んでいっていることに本当に怖さを感じている。
子供に「ねぇ、どうして人を殺してはいけないの?」と訊かれたら、あなたならどうしますか?
僕なら・・・(これは賛否両論あるでしょうが)
間髪入れずに思いっきり真剣にひっぱたくことでしょう。
それしかないのだという気がしています。
そこだけは、人が疑問として取り上げてはいけない部分だとして
「あんなに恐ろしい形相の父ちゃんは、後にも先にも見た事がない」というくらいの強烈な原体験とともに、
観念に刻み込むしか無いのではないかと思います。
「あなたならどうしますか?」
よかったら本当に意見をお聞かせください。
sd@sunaga.org

2005.12.05 (mon)
ホテルが次々と休業しているが、
(そりゃぁあんなに報道されちゃ休業しないわけにいかないのだろうけど)
それは現行の耐震基準に満たないというだけで、
1981年以前に建てられた建造物は、
当たり前に現行の耐震基準になんか満たないわけです。
でもそこは騒がれませんね。
姉歯物件の方がまだ強いって可能性だってあるわけです。(可能性ですよ)
1981年以前の確実に弱いビジネスホテルなんかは、
たーくさんあるはずですが休業しませんよね。
先日書いたことの繰り返しになりますが、現状の日本で道徳を問うても無理な気がします。
残念ですが善意を装った損得勘定という印象しか受けません。
テレビやネットニュースなど、流れては消えていくメディアの中で、
本当に一流の専門家の意見もあれば、
本当に建築の世界を知っているのだろうかと疑いたくなるような自称専門家の偏った見方、
自己弁護を含んだ当事者の説明や矛先を変えるための問題提起、
事を荒だてるのが仕事だとでもいうような下世話なコメンテーターなど、ゴチャマゼの報道の中で、
僕が目にしているだけでも、明らかに間違った説明が随分あります。
日本にいーっぱいいる建築関係者はヤキモキしながら
この事を見ているような気がします。
どうか普通のかたがた、振り回されないようにしてください。
しかしながらこの大騒動が、
多くの人々に、歪んでいる建築業界についての正しい知識と、
来るべき大地震への備えを我が事として真剣に考えてくれる機会となってくれることを期待しています。
今ならまだ犠牲者は出ていないし、間に合うのですから。
(被害者はいっぱいいますけども)

2005.12.04 (sun)
一生懸命は金で買えない。
こんなこと書くと
「こっちはお金払ってるんだから、ちゃんと一生懸命やってくれなきゃ困るじゃないか!」
と怒る人がいそうだな。仕事依頼が減っちゃうかもしれないなぁ。
でも、あえて言わせてもらうと、
「お客は最大限のサービスを受けて当然である」というのは大いなる誤解だ。
もちろん、どんな仕事も受けた以上は『ちゃんと』は、やる。
でも『一生懸命』になれるか、それはべつのはなし。
一生懸命に仕事ができるとき、それは、
依頼主の一生懸命な想いをビンビン感じられるときだけだ。
悩み苦しみながら、自分の奥底の想いをなんとか言葉にして伝えようとするその姿勢だったり、
支払うお金を稼ぐために無理してくれている姿だったり、
何も言わずジッと信じて待ってくれている信頼の目に見えぬ影だったり。
『一生懸命』は請負金額に含まれない。
だったらせっかくなんだから精一杯の仕事を引き出せた方が、
成果物の質は高く、結果としてずっと得である。
僕は知っているつもりである。
一生懸命は金で買えないということを。
だから僕自身が誰かに仕事を発注するときにも、そのことは意識にある。
『会社に』ではなくて『人』を選んで頼むように心がけているのもそのため。
彼らの一生懸命を引き出すためには、まず自分が精一杯じゃなくちゃ伝わらないし、
人と人との関係であれば、本気で伝えようとしたことは必ず伝わる。
伝わるまでコミュニケートすればいい。
映画を撮るひとも同じかも知れない。
監督が描く世界を具体化するために、役割ごとに人が集められるけど、
それぞれの専門家の精一杯が込められたとき、
きっと最後には、監督が描いた世界を超えることだろう。
モノづくりには想像を超えた奇跡・magicが起こる瞬間がある。
みんなそれに立ち会いたくて、なんかアホみたいにがんばっているのじゃないだろうか。

2005.12.03 (sat)
今日一日アホみたいなスケジュールだった。
建築道場という勉強会の発表担当になっていたので、
午前中から15:30までは、その発表をどうしようかとあれこれ考えたり、メモしたり、
(つまりは、今まで何の準備もしてなかったのです)
でも、うまくまとまらないまま、あわてて上野に向かい、
東京芸術大学の美術館で吉村順三展を30分で鑑賞。
その後吉祥寺にトンボ帰り。
もちろん、移動中は発表内容をまとめる時間。膝がデスク。
吉祥寺で降りて発表の資料を探しに本屋をめぐるが、肝心な一冊は見つからず。
その後スタジオに入ってバンドの練習に20分だけ参加。
遅刻の早退で申し訳ないなぁと思いつつ建築道場のため千駄ヶ谷へ向かう。
途中、やっぱりどうしてもあの本を手に入れたくなり、新宿で下車。
大きめの本屋に寄るが目当ての資料は見つからず無駄足。
あきらめて千駄ヶ谷へ。
建築道場、こちらも遅刻すること50分。
2番手に廻してもらっていたので大きな迷惑は掛けずに済んだ。かな?
発表はホワイトボードを使ってのほとんどアドリブ。
準備不足は否めないが、まあなんとか乗り切った。
その後、みんなで「吉村順三をどう思うか?」という考察をやるが、
22:00をまわってなおまだ続きそうだったので、コソコソ早退。
22:30中野で降りてデザインファームOBの忘年会に2次会から参加。
久しぶりに会う人、ほとんど初対面の人、楽しい時間を過ごし、
合間に仕事の打ち合わせもチョコットして、終電で帰宅。
25:30。
ちなみに、この日一日荷物が重くて重くて、苦行のようだったので、
あとで体重計で量ってみたら9.5kg。
(ノートパソコン、筆記用具、おおきな本5冊、図面、ハーモニカ3個)
手提げカバンに米一袋を入れて移動していたようなもの。
『中途半端に全部こなした』という、良いのか悪いのか分からん一日でした。

2005.12.02 (fri)
ホッとひと安心。
鉄骨階段の支柱に取り付ける照明器具のスイッチ。
鉄は現場で簡単に修正がきかないので、原寸大の模型までつくって
作業のために手がちゃんと入るかまで検証し、
取り付けかたを考えに考えた。
さて本日、工場で加工されてきた鉄骨階段が現場に運び込まれて、
実際に取り付けてみると・・・、
予定通りピッタリ♪
「あぁ・・・」と、ホッと胸を撫で下ろす。

2005.12.01 (thu)
自営業だと住宅ローンが通りにくいので、
どうしても家を建てるというのが遅くなり、
家賃生活で無駄にお金を使ってしまう人が多いのだそうだ。
ウチは、一刻も早く建てたいと思っていたので、
今日ファイナンシャルプランナーのかたに相談に行ってきた。
素人がモヤモヤしていても、
何となく考えてるような気になっちゃうだけで結局何も進展しないものだけど、
こうしてその筋のプロのかたと話してみると、
目の前のモヤがスッと晴れ、自分の位置と道筋が実にクリアに見えてくる。
まだ数年先のことにはなるけれど、自分が家(兼仕事場)を建てるということが、
リアリティを持ってきた。

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